創業50周年の軌跡
1973年10月。レース用エンジン、エンジンパーツの開発・製造及び販売を目的として株式会社エッチ・ケー・エスを設立。株主名簿には何人かの名が連ねてはいたが、社員数はゼロ。代表取締役社長、長谷川浩之氏ただ一人の船出だった。生まれ故郷の富士宮市上井出の父・久雄氏が所有する農地が、目標とする研究開発型企業にとって格好の場所であるため、創業の地としてスタートした。
この年のできごと
第1次オイルショック。ベトナム和平協定。インフレ・狂乱物語。
三菱・ランサー/トヨタ・セリカリフトバック発売
イギリスのコスワースやブライアン・ハートなど世界的に有名なエンジンメーカーに対抗できる製品開発によってHKSの門出を飾ろうとした。こうして、ベースエンジンとして絞られたのが、フォードBDAだった。
資金が続かず開発を断念。創業早々で資金不足から部品集めにも限界があり、自らの手で部品を作り出すため取引先に住み込み生活をして完成まで一年間を要したが、技術的な問題点として圧縮比が高く、組み上がったエンジンに「火入れ」をすることは不可能だと判断せざるを得なかった。
※圧縮比 13.0~14.0:1
『FETターボ』の商品用で昭和49年に日産スカイライン用として発売。ターボ本体には、コンパクトで小型エンジン用として最適なアメリカ製のRAJAYタイプ375B04を使用した。発売価格はキット本体が¥375,000-、取付け料が¥25,000-。
HKS独自にターボチャージャーをアメリカから直接輸入し、セリカ18R-G、2T-Gとスポーツモデルがクルマについてキット化を完成し、HKSが独自で取付、転売するようにした。
この年のできごと
小野田少尉が帰還。長嶋茂雄が現役引退。佐藤栄作ノーベル平和賞受賞。
環境庁が排ガス規制を発表。フォルクスワーゲン・ゴルフ誕生。
3L改造車(日産・フェアレディZ)が持っていた最高速240.80km/hという記録を、日本自動車研究所自動車試験場の一周5.5kmのテストコースで塗り替える。車輛はカローラレビン(TE55)で、最高速が243.24km/hを記録した。
この年のできごと
第2次オイルショック。スリーマイル島原発事故。東京サミット開催。ウォークマン発売。
日本初のターボエンジン搭載車、日産・セドリック/グロリア発売。
経営基盤が強化されるにつれて、脳裏から離れなかったエンジン開発の手探りを始める。様々な検討の結果、オートレース用エンジンを開発することになる。
ヤマハ発動機500㏄エンジンをベースにエンジン開発を計画したが、ヤマハの同意を得られず当初計画を変更。100%オリジナルのゼロからのスタートとなった。試行錯誤の結果、昭和54年に第一号が完成。排気量600㏄、DOHC4バルブ、単気筒。昭和56年1月から本格生産に配置、HT600搭載のオートバイは『フジ号』と命名され、オートレース界に旋風を巻き起こした。
※生産実績は3,456台
国内市場だけを相手にしていた販売網は海外にも広がり、海外初進出となるHKS USAを設立。全米を対象とした営業活動に乗り出した。そして、クルマ先進国であるアメリカにおいて、自動車業界やユーザーの動向などの最新情報の収集を開始する。
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チャールズ皇太子・ダイアナ妃婚礼。福井謙一がノーベル化学賞受賞。
ハイソカーブーム到来。トヨタ・ソアラ/ホンダ・シティ発売。
1970年代後半、ボルトオンターボはキャブターボ、燃調は追加インジェクターが全盛となった。そんな中「燃料増量を過給量に応じて自動制御できないだろうか」という要望から、時代はECUによるインジェクション化へ突入していく。昭和60年に発売された2代目モデル『PFC-F-CON』はマップ制御を採用し、領域ごとの燃料増減を可能とした。
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ホテルニュージャパン火災。日航機羽田沖墜落事故。東北・上越新幹線が開業。
三菱・スタリオン/三菱・パジェロ/日産・マーチ発売。
昭和58年12月、HKSレビンと同じ谷田部テストコースで多くの挑戦者がトライしながら破ることのできなかった300km/hの壁。HKSは、5M-GEU改ツインターボ仕様のエンジンと、FRP製ブリスターフェンダーを装備させたセリカXX『M300』を投入。見事301.25km/hという記録で、国産車初の快挙を成し遂げた。
この年のできごと
パリダカで三菱・パジェロ初出場で優勝。東京ディズニーランド開園。大韓航空機撃墜事件。
AE86型トヨタ・カローラレビン/スプリンタートレノ発売。
三菱G54B型ブロックを使用する他は、100%HKSオリジナルとなるエンジン『134E』搭載車で、ジョン・ベーカー選手がアメリカのプロラリー、トラックレースに初参戦して好成績を収める。
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グリコ森永事件(かい人21面相)。三浦知義ロス疑惑事件。
日産NISMO設立。国産初のミッドシップ量産車、トヨタ・MR2発売。
チューニングの必須部品であるマフラー。当初は外部へ委託生産していたが、昭和60年4月には富士宮市北山地区の北山工場での内製化に踏み切った。ターボ専用の60φマフラーとして、ターボチャージャーに続く大ヒット商品となった。
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日航ジャンボ機墜落事故。阪神タイガースが初の日本一。科学万博つくば85開催。
日産・R31スカイライン/マツダ・2代目RX-7発売。
HKSが独自に開発した186Eエンジンは、5バルブ・トップフィールド方式を採用。吸気ポートのレイアウトは、シリンダー真上から入るダイレクトポートを採用することにより、サイドボード方式に比べて11~12%の体積効率向上に成功した。
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チャレンジャー号爆発事故。チェルノブイリ原発事故。三原山噴火。
トヨタ・2代目ソアラ/トヨタ・A70スープラ発売。
「タービン特性に合わせた安定したブーストを得るためには…」。そんな思いから機械式ブーストコントローラーに次ぐ、世界初のメカトロバルブを実用化。バルブを室内からリニアにセッティングすることが可能な商品の開発が進められ、業界初のEVCが誕生する。
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バルブ景気始まる、国鉄民営化、ブラックマンデー、後楽園球場閉場。
トヨタ・レビン/トレノもFFへ。
オートレース用エンジンで独占状態だったフジ号HT600Eの後継モデル。200Eのパワーはオートレース界に強烈な印象を与え、デビュー直後から注文が殺到。レース出場者が200Eの一色となり『HKS対HKS』の戦いとなった。
1993年9月に、エンジン納入をスズキ一社に限定するとの小型自動車振興会の方針で生産は打ち切り。HT600以来、14年に渡って関係を深めてきたオートレース業界から完全撤退となった。この間の生産実績は、HT600を含めて7,441台に上がった。
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青函トンネル開通。東京ドームオープン。瀬戸大橋開通。リクルート事件。
日産・S13シルビア/日産・シーマ発売。
1989年、BNR32GT-Rのデビュー直後から開発が進められていたコンプリートカー『ZERO-R』1991年1月の東京オートサロンで大観衆の注目を集め、見事に国産コンプリートカー部門のグランプリを受賞した。
※10台限定、価格1,600万円。
0~400m、7秒91で日本記録樹立(AAA-Pプロストックカー)。1991年8月12日、RRCドラッグレース第3戦で当時難攻不落と言われた8秒の壁を突破した。エンジンは7M-Gツインターボで、最大ブースト圧1.4㎏/cm2で850psを発生した。
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ソ連が消滅。湾岸戦争が勃発。雲仙・普賢岳で火砕流。
マツダ・RX-7(FD3S)発売
別銘ブランドで展開していたエンジンオイルだったが、HKSブランドの打ち出しを図るため『HKSスーパーオイル』を発売した。また、1992~1993年には、当時の国内でツーリングカーレースの最高峰であるJTCグループAに参戦。並み居るワークスチームのR32GT-Rに真っ向勝負を挑み、参戦2年目の第3戦で見事に優勝を遂げた。
この年のできごと
貴花田が史上最年少優勝。東海道新幹線「のぞみ」運転開始。
三菱・ランサーエボリューション/スバル・インプレッサ発売。
究極のエンジンをゼロから造るという情熱の結晶。1992年12月に富士スピードウェイで公開テストを行い、「ホンダ、ヤマハ、無限、スバルに続く、国産5番目のF1エンジンがデビュー」と騒がれ、そのポテンシャルの高さを証明した。
また三菱4G93をベースにしたF3用パワーユニット『310E』を開発。1993~1999年までの全日本に加えて、イギリス、南米のF3選手権にチームとして、またエンジンチューナーとして参戦。1998年の南米F3チャンピオンシップでは、シリーズ優勝を果たしている。
この年のできごと
サッカー「Jリーグ」開幕。徳仁皇太子殿下御成婚。ドーハの悲劇。
日産・S14シルビア/スズキ・ワゴンR発売。
ショックアブソーバーとの性能バランス追求のため、コイルスプリングの製造を1994年6月に開始。また、1994~1997年には全日本ツーリングカー選手権(JTCC)にOPELベクトラで参戦。プリメーラやエクシヴ、アコードなどのワークス勢がひしめく中、94と95年はシリーズ4位、97年の第12戦では優勝と輝かしい成績を残した。
この年のできごと
アイルトン・セナが事故死。英仏海峡トンネル開通。松本サリン事件。
三菱・FTO/光岡・ゼロワン/ホンダ・オデッセイ発売。
F3エンジン『310E』で、94年と95年はアランドッキングレーシングと、96年と97年にはモントーヤがドライバーのフォーテックレーシングとタッグを組んでイギリスF3に参戦。ヨーロッパ進出の足掛かりとなった。そして「地上の次は大空へ」という夢を実現するため、ULP(ウルトラライトプレーン)エンジン『A700E』を開発。その累計販売数は1,000台を超えた。
この年のできごと
薬害エイズ問題。「O-157」集団食中毒事件。
量産車初の直噴エンジン搭載、三菱・ギャラン/マツダ・デミオ発売。
1999年6月、日本証券業協会が運営するベンチャー企業向けの証券市場『ジャスダック(現在の東証スタンダード市場)』に登録、株式公開を果たす。そして、相次ぐ新事業の展開で富士宮工場が拡大の余地がなくなり、一段の飛躍を目指して富士宮市北山に新工場(本社工場)を建設。敷地面積は55,000坪、東京ドーム4個分の広さである。当初は4号棟までだったが事業拡大に伴い、2009年に5号棟、2012年に6号棟、2018年に7号棟を設立している。
この年のできごと
NTTドコモ『iモード』が大ヒット。ソニー『AIBO』が発売。
日産・BNR34スカイラインGT-R/日産・S15シルビア/ホンダ・S2000/トヨタ・MR-S発売。
エンジン部分の中でも加工技術・測定技術ともに高い技能が要求される、クランクシャフトやカムシャフトなどの受託生産を行っている、日生工業株式会社を子会社化。エンジン技術のさらなる追求と発展を目指す。
この年のできごと
2000年問題。雪印食中毒。九州・沖縄サミット。米大統領選挙ブッシュ氏当選。
トヨタ富士スピードウェイを買収。スズキ・スイフト発売。
アジア圏の市場拡大を受けて、当時はまだアフターの市場も未成熟であったタイに進出。現在は、販売のほか、マフラー製造工場や部品調達、R&Dの拠点となっている。また、競技ドリフトという新しいカテゴリー『D1グランプリ』に、谷口信輝選手とのワークス体制で参戦。ハイパーシルビアをデビューさせた。
この年のできごと
9.11米同時多発テロ(2001年)。日朝首脳会談、FIFAワールドカップ日韓大会(2002年)。
三菱・ランサーエボリューションVII/日産・スカイライン(V35)/日産・フェアレディZ(Z33)/スバル・インプレッサWRX STi(GDB)/ダイハツ・コペン発売。
排気ガス浄化性能や、アクセルワークにダイレクトに反応した低中回転域でのトルク特性に優れる、新機構を搭載した次世代過給システム『GTスーパーチャージャー』を発売。また、ランサーエボリューションIXがベースの『Racing Performer CT230R』による、国内主要サーキットのチューニングカー最速タイムアタックに挑戦。
この年のできごと
ライブドア・ショック。日本郵政株式会社が設立。フセイン元イラク大統領の死刑執行。
三菱・ランサーエボリューションIX/レクサス・LS460/光岡・オロチ発売。
パーソナルウォータークラフトでは世界中で圧倒的なシェアを誇る、ヤマハマリンジェットの1.8Lエンジンの性能をさらに引き上げるため、HKS製スーパーチャージャーが採用された。また、2008年1月28日に「走るオートサロン」を目指して富士スピードウェイを全面貸し切りにした『HKS 35th PREMIUM DAY in FSW』を開催。
この年のできごと
iPhone発売(2007年)。リーマンショック(2008年)。
ホンダ・シビックタイプR(FD2)/スバル・インプレッサWRX STI(GRB)/三菱・ランサーエボリューションX/日産・GT-R/レクサス・IS F/日産・フェアレディZ(Z34)発売。
東南アジアでのモータリゼーションの発展から、チューニングの入門アイテムとなるマフラーの現地生産を開始。HKSとしては初の海外生産工場の操業となる。また、この年よりオリジナル設計の内製タービンとしてボールベアリングを採用した、GTIIタービンを発売。
この年のできごと
トヨタ自動車F1から撤退。(2009年)。「はやぶさ」地球に帰還(2010年)。
トヨタ・プリウス(ZVW30)/ホンダ・CR-Z/日産・リーフ発売。
自動車の排気ガスに対応した触媒の技術を活かし、9,800㏄ディーゼルエンジンをCNGエンジンに改造し、専用設計のメタルキャタライザーと組み合わせることで、世界一厳しいとされる「ポスト新長期規制」からさらに有害物質(HC、NOx)レベルを40%以上低減した「日本ガス協会技術指針」をクリアした。
この年のできごと
東日本大震災。サッカー「なでしこジャパン」が初優勝。
レクサス・CT/スズキ・スイフトスポーツ(ZC32S)が発売。
本社工場内に専用工場を新設して、次世代エネルギービジネスを本格化。LPG/Bi-Fuelの改造、大型トラックのCNG/CKDをスタートさせた。また、休戦していたD1グランプリに、『HKS Racing Performer 86』でフル参戦を東京オートサロン2012で表明。
この年のできごと
牛の生レバーの販売提供を禁止。尖閣諸島国有化を閣議決定。東京スカイツリー開業。
トヨタ・86/スバル・BRZ発売。マツダ・RX-8販売終了。
ユニバーサルデザインタクシーとして、日産自動車のNV200のLPGバイフューエル仕様車の本格生産を開始。また、2014年のオーストラリアで開催されるワールドタイムアタックチャレンジにR35 GT1000+で参戦、GT-Rクラスの初代王者に輝く。さらに、チームHKSとして参戦したジェットスポーツ全日本選手権シリーズでは、圧倒的パワーでシリーズ1位、2位を独占。
この年のできごと
アベノミクスの実施(2013年)。消費税8%導入(2014年)。
日産・スカイライン(V37)/スバル・WRX(VAB/VAG)/レクサス・RC発売。
2016年11月9日、HKSの創業者にして代表取締役社長を務めていた長谷川浩之が急逝する。新社長には水口大輔が就任。長谷川前社長の意志とHKSイズムを引き継ぎ、新体制を発足させて、新たな時代に相応しいカスタマイズを提案していく。
この年のできごと
マイナンバー制度が開始。公職選挙法が改正、選挙権が18歳以上に。
マツダ・ロードスター(ND5RC)/ホンダ・NSX(NC1)発売。
2017年1月、米国にHKS USA,Inc.を設立。また、2009年より稼働しているタイのマフラー工場は賃貸工場からスタートしたが、タイ及び周辺国の需要の高まりに合わせて、2017年3月より、敷地面積1万平方メートルの自社工場で稼働を行い、生産規模を大幅に拡大させた。
この年のできごと
ドナルド・トランプが米大統領に就任。TPP協定の締結。
ホンダ・シビックタイプR(FK8)/スズキ・スイフトスポーツ(ZC33S)発売。
2018年2月15日。筑波サーキットにおける箱車の最速タイムを狙って制作された、ZN6トヨタ86ベースの「TRB-03」が49秒445を記録。2.5L化してGTIII-5Rタービンを組んだ、FA20エンジンは800psオーバーを発生。ドライカーボン製の空力ボディもHKSにとっては初挑戦だった。
この年のできごと
カジノ法案成立。働き方改革関連法の成立。豊洲市場の開場。
トヨタ・カローラスポーツ/スズキ・ジムニー(JB64W)発売。
2020年の東京オートサロンに出展した『HKS GR SUPRA AERO』が、コンセプトカー部門で最優秀賞を受賞。さらに、各部門の最優秀賞車両で競われる、東京カスタムカーコンテストにおいてもグランプリを獲得した。オリジナルエアロのデザインにおいても世界的な評価を受けたのである。
この年のできごと
新型コロナウィルスが世界各地で広がる。
トヨタ・GRヤリス発売。
商用車のEV化を促進するに当たって、伊藤忠商事、いすゞ自動車、JFEエンジニアリング、ファミリーマート、そしてHKSの共同プロジェクトである、バッテリー交換式EVトラックの研究開発に参加。HKSはバッテリーパックの開発を担当。東証の市場区分再編により、4月よりJASDAQスタンダードから、新市場区分のスタンダード市場に移行した。
この年のできごと
ロシア軍、ウクライナ侵攻。安倍元首相、銃撃され死亡。
ホンダ・シビックタイプR(FL5)/日産・フェアレディZ(RZ34)発売。